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フランス・日本で不妊治療を経て41歳で第二子を無痛分娩で出産 Gray Rabbitさんの体験談 [ナチュラルなお産 私の体験談]

フランス・日本で不妊治療を経て41歳で第二子を無痛分娩で出産 Gray Rabbitさんの体験談 [ナチュラルなお産 私の体験談]
セレスマムでは、「ナチュラルなお産 私の体験談」コーナーで、セレスマムのライターさんをはじめ、様々な方の通常の病院での出産以外の出産体験をご紹介しています。メインは、自宅出産や水中出産、助産院での医療介入のない出産体験談や、両方の出産を体験した方の体験談になります。
ただし、出産はどの出産であっても尊い奇跡であり、いわゆるナチュラルなお産をすることとオーガニックはイコールではありません(オーガニックについてはオーガニックの定義オーガニックの基準をお読みください)。
帝王切開やいわゆる普通の病院での分娩もまた神聖で貴重な経験であるとセレスマムでは考えており、お産に対しては一切の良否の判断を行いません。体験談の文章中の見解は、あくまでライターさんの個人の体験に基づく見解であることをご了承ください。
Gray Rabbitさん プロフィール
フランス在住15年の兼業主婦です。地方都市で5歳の息子と11歳の娘の年の差育児中です。息子は乳糖不耐、娘と私はひどい花粉症なので、対処療法ではなく、ホメオパシーやオステオパシーなどを使った体質改善や予防を心がけています。フランスは給食のアレルギー対応がないので、息子は給食の代わりにお弁当持参。日本と違って、前菜・メインディッシュ・チーズ・デザートのコースなので、給食の献立を参考に牛乳と牛乳製品を避けたお弁当作りに日々はげんでいます。出産は2人ともフランスで主流の無痛分娩で、下の子のときには不妊治療も経験しました。日本とはかなり違うフランスの出産事情をご紹介できたらと思います。
[35歳で第一子をフランスで無痛分娩出産、41歳で第二子をフランスで無痛分娩で出産]
※今回はナチュラルなお産というテーマからは外れますが、フランスで無痛分娩を体験したGray Rabbitさんの体験談を掲載します。

第二子を考えたが流産が2回、その後不妊治療へ

娘が3歳になったころ、そろそろ2人目を考えはじめたのですが、2度続けて、9週と12週で流産しました。娘のときにお世話になった先生が病気療養中だったので、代わりに診てもらった近所の婦人科医には、38歳という年齢のせいだと言われましたが、年齢的な問題があるにしても2回連続で流産する確率はそこまで高くないと思い、いろいろ調べて見つけたのが習慣性流産、不育症でした。婦人科医に再度相談してみましたが、検査が受けられるのは3回目の流産からと言われ、日本で自費で検査を受けることにしました。検査でなにも出なければ、受精卵に問題があったと受け入れられるし、なにか原因が見つかれば、次の流産を防ぐ対策ができると思ったのです。

日本の専門医の予約を帰省に合わせて取り、検査を受けました。その結果、血液凝固第12因子に異常があり、胎盤に血栓ができやすいことが分かりました。流産した時期も、第12因子異常に多い週数で、検査結果と一致するけれど、娘の妊娠中に問題がなく、娘も37週で3000gを超えて生まれているので、本当のところはやはり組織検査じゃないと確定できないとのことでした。それでも、この結果で2回目の流産から1年以上経って、やっと流産を受け入れられたように思いました。

フランスに戻ってから、娘のときにお世話になった主治医に予約を取り、不育症の検査結果について話しました。フランスの不育症の原因は日本とほぼ同じだけれど、私の12因子欠乏はフランスでは知られていなかったのですが、日本の専門医に、12因子のみならば、ヘパリン注射ではなく、アスピリンで大丈夫だろう、と言われたことを伝えたところ、年齢的にもあまりのんびりはできないから、タイミングより上の不妊治療を考えてもいいのでは、と勧められました。

フランスでは、妊娠・出産に関する費用は基本料金であれば保険で払い戻されます。当時の婦人科の基本料金は23ユーロでしたが、自由報酬として診察料が40ユーロ、60ユーロという医師もいて、その場合でも払い戻しは23ユーロです。不妊治療も保険の対象で、43歳まで、人工授精は6回、顕微授精を含む体外受精は3回まで無料で受けられます。ただし、その前に夫婦双方の検査を徹底的にしなければなりませんでした。幸い、夫も協力してくれたのですが、検査の予約を取るのに2,3か月かかるのは当たり前というのんびりした国なので、必要な検査が終わって、主治医に勧められた専門医に予約を取るころには、更に1年が経過していました。

やっと不妊治療の専門医との面談がとれたものの、再度私の血液検査をして、さらに4か月後に2度目の面談。「最後の妊娠からほぼ2年経っているので、医療介入を希望しますか」と、先生。医療介入を希望するから、こちらに転院することにした旨を伝えると、「では、書類にサインして1か月後に持ってきてください」とさらに待たされることに。当時の私は40歳、最初の面談から5か月も無駄するなんて、と心穏やかではいられなかったのですが、これも保険扱いにするための規則なので仕方なく、1か月後に再度面談。すると「今周期どうしますか?ちょうど明日から注射打ってもらうことになります」と言われ、いきなり治療を始めることになりました。

注射の処方箋を渡され、毎日だいたい同じ時間に打つように、と指示され、近くの薬局で注射を購入。日本ならば通院して注射するのでしょうが、フランスは派遣看護師を頼むこともできますが(不妊治療のためなので、もちろん保険対象)、自分で打つこともできます。エピペンだったので、覚悟を決めてお腹に刺したら、意外と簡単で、すぐに慣れました。人工授精の当日、夫は朝7時にクリニックで採精、遠心分離機にかけた精子を9時半に私が受け取り、診察室に向かって処置を受けます。まさか自分で運ぶと思わなかったので、驚きました、

2回の人工授精後、第二子を妊娠!

2回目の挑戦の後、人工授精じゃなくて体外のほうがいいのではないかと相談したら、このままで大丈夫、と太鼓判を押されて挑んだ3回目で、幸いにも妊娠できました。

妊娠できたといっても月経が来ないのと血液検査の値の上の話であって、特にこまめに検診があるわけでも、エコーを見せてもらえるわけでもなく、また流産するのではないかという不安はずっと付きまといました。9週にならないと心拍確認できないし、それ以前に流れるようなら、生きる力がないってこと、と言われ、血栓予防のためのベビー用アスピリンだけが頼りでした。9週で心拍が確認でき、12週で再度ちゃんと育っていることを確認できたので、不妊治療からは卒業、娘のときの主治医は年齢的にもお産は引退していたため、別の産科医を紹介してもらって、出産までお世話になることにしました。

今度もエコーは3回のみというのは同じで、毎月の検診は問診と内診のみ。初期のうちは、とにかく赤ちゃんがお腹の中で育ってくれているのかが不安でたまりませんでしたが、第2子ということもあって、胎動をかなり早く感じるようになり、それ以降、不安はなんとかおさまりました。

8か月に入り、助産師さんとの出産準備コースが始まりました。今回は助産師さんとマンツーマンのコースで、いきみ方の復習に加えて、娘のときにはできなかった臍帯血献血ができるようになったことや、子宮底筋のリハビリは、傷んだ箇所によっては、電気を使うやり方では効果がないこと、授乳で乳首が切れたら、ポマードではなく母乳を塗るといいこと、など、役に立つ情報もいろいろ教えてもらうことができました。ちょうどその頃、実家の母が病気になり、ストレスで気管支炎を発症し、尿漏れが酷くなっていたので、産後のリハビリも彼女にお願いすることにしました。

フランス式8か月、日本の9か月の産科検診で、主治医に「ぼくはこの日までは休暇で留守だから、この日以降に生んでね」と、娘のときとは逆のことを言われ、さすがバカンス大国だな、と笑えました。今回も体力温存のために無痛分娩を選択したので、出産予定のクリニックで臍帯血献血の手続きと麻酔医との面談を済ませました。バースプランについては前回と同じく何も触れられませんでした。私自身、無痛分娩と臍帯血献血以外、とりたてて希望はなかったので、不満はありませんでした。

不妊治療を経て第二子を再び無痛分娩で出産

娘と同じく、フランスの予定日の3週間前、ちょうど主治医が戻ってきた日の朝、起きぬけに破水、幸い夫の出勤前だったので、そのままシャワーを浴びて支度をし、娘を近所の友人に預けて、クリニックに向かいました。時間は9時ごろとちょうど朝の通勤ラッシュで、地方都市とはいえそれなりに道は渋滞、陣痛が5分間隔でどんどん強くなってくるのに車が進まず、夫はパニック気味。クリニックに着いても駐車場に空きがなく、入口の前で私だけが車から降りて中に入り、夫は少し離れた大きなスーパーの駐車場に行きました。

助産師さんに破水の確認と内診をしてもらい、子宮口がすでに5㎝開いていたので、すぐに分娩室に入り麻酔医が到着、夫の合流を待って硬膜外麻酔のための麻酔を打ちました。麻酔の処置が終わるとスタッフはさっさと出て行ってしまい、夫と二人きりで分娩室に残されました。

娘のときと同様、子宮の収縮は感じるけれど、痛みは感じませんでした。朝なので、娘の時みたいに眠くなることもなく、まだ完全には決めていなかった名前のことを相談したり、夫が自分の昼食のサンドイッチを買いに行ったりしていたところ、11時半ごろ助産師さんが来て内診、全開だけどまだ下りてきてないので、右を下にして横向きになるようにと指示されました。生まれるのは午後かと思っていたのに、昼過ぎには生まれそうだとドキドキしていたところ、急に体の奥から何かをしぼり出すような感覚がわいてきて、驚いて夫にナースコールを頼みました。助産師さんが来て、赤ちゃんが下りてきているけど、主治医が別のお産で来られないから、絶対にいきまないように、と言われ、赤ん坊の頭をおさえられ、陣痛を2回ほど逃がすのが、ものすごく苦しかったです。

やっと主治医が到着、助産師さんが手を放すと、11:43、一度もいきまずに息子が出てきました。夫が隣室で息子の処置と身体測定に同伴している間に、臍帯血担当のナースも到着し、献血の処置、会陰の縫合(全く気付かない間に2,3か所、小さな切れ込みを入れられていました)があり、息子と夫が戻ってきて、カンガルーケアがありました。息子がおっぱいに吸い付いて、ずっと離れなかったのが、娘と違って印象的でした。

分娩室で2時間を過ごし、病室に移動、夫は出生届を出したり、家族に連絡したりするために、一時帰宅しました。今回の出産も食事の時間にまたがっていたため、昼食はもらえず、おやつ代わりのヨーグルトと水が出てきただけだったので、夕食が待ち遠しかったのを今でも覚えています。

息子は食欲が旺盛で、とにかく一度おっぱいに吸い付いたら30分は放しませんでした。お蔭で最初から授乳間隔がきっちり3時間、娘は30分から1時間毎だったのですぐに乳首が切れたのですが、その問題も全くなく、授乳の後はぐっすり寝てくれたので、私もゆっくり休むことができました。夕方に夫が娘を連れて病室に来て、初めての対面、妹が欲しくて、弟だと分かった時にはがっかりしていた娘でしたが、可愛い、可愛いと喜んでくれました。

入院は4日間、月曜に出産し、金曜の午前中に退院しました。入院中、助産師さんが巡回のたびに授乳指導に参加しないかと声をかけてくれましたが、息子はおっぱいを飲むのが上手で、3日目には初乳が普通の母乳に変わるほどよく飲んでくれたので、参加はしませんでした。入院中、あまりにも動かなかったせいか、3日目から左脚がむくんでしまい、あわてて病室のなかを歩き回りました。退院後は、娘の出産時の経験から、階段の昇降はできるだけ控えるために、リビングにクーファンを置いて過ごしました。

息子は本当によく飲み、よく寝る子で、授乳は3時間おき、飲み終わったらクーファンに入れても全く目を覚まさなかったので、娘の学校への送迎を手伝ってくれた友人へのお礼に、ケーキを焼いたり、餃子の皮を打ったりする時間があるほどで、40過ぎの高齢出産とは思えないほど、体力的にも、精神的にもゆとりのあるお産でした。

産後1か月の検診の後、骨盤底筋のリハビリが始まり増した。息子がリハビリの間泣くこともなく、泣いても助産師さんがベビーカーをゆらすと泣き止んだので、娘のときのようにストレスを感じることはなく、集中してリハビリに取り組め、効果も電気ショックとは比べ物になりませんでした。骨盤底筋の後は腹筋のリハビリでした。ピラティスを取り入れたトレーニングで、初めてのトレーニングの後、閉まらなかったジーンズのボタンが楽に閉まったので、驚きました。リハビリは両方とも12回ずつで、終了後も週2回5分ずつでいいから続けるようにと言われたので、今も思い出したときにやっています。

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この記事を書いた著者

セレスマム編集部
オーガニック・ナチュラル派ママのための妊娠・出産・子育て情報ウェブマガジン・セレスマム(ceres mom)の編集チームです。ママと子どもがマイ・ベストオーガニックライフを見つけるための場となれるよう、国内外の情報をもとにオーガニックの定義と基準を明らかにし、特定の健康法や流派に偏らない情報発信を心がけています。

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